徒然なるままに、今月の池田暮らしに思いを馳せるまりこ日記。
vol.4、3月は「知恵の生まれるところ」をお届けします。
数日前、おばあちゃんから段ボールいっぱいの八朔(はっさく)が届いた。
和歌山生まれの祖母は、こうして毎年みかんやら八朔を送ってくれるのだった。
おばあちゃんのお礼の連絡を入れると、こう返ってきた。
「無農薬でママレードも作れるね。しっかり食べてね。雪の毎日、くれぐれも身体に気をつけて下さいね」
ちょっとびっくりした。
おばあちゃんが言いそうもないことだった。
実は、私が千葉の実家から池田町へ行くことに唯一難色を示したのは、祖父母だ。
千葉に帰る度に「いい加減こっちに戻ったら?」と言われて、辟易するのがお決まりのやりとりだった。
そんな祖母が私の今の暮らしに寄り添うかのように「無農薬でママレードも作れるね」と言ったことが、少し驚きだったのだ。
同時に、嬉しくも思った。私がしたくてしているここでの暮らしが、少し伝わったのではないかと思って。
早速食べた八朔の皮を、ママレードにする。
実はこんなことをするのは、初めてだった。
おばあちゃんが八朔をくれるのは、これまで毎年のことだったのに。
ずっと皮はゴミ箱へ捨てていた。
「ああ、食べれたんだな」
そんなシンプルな気づきがあった。
これまでずっと八朔をもらっていたのに、
それが無農薬だということ、だからこそママレードも作れることを祖母から教えてもらったのも
そんな言葉を受けて、嬉々としてママレードを自分で作ったのも、私にとって今年が初めてのことだった。
去年までの私は、八朔が無農薬なのか?皮は何かに利用できないのか?そんなことを聞こうという発想自体なかった。
起きていたのは、確かな変化だった。
秋頃、池田町内の軒先に、たくさんの大根が並ぶ。
秋の手仕事が生む、池田の愛おしい風景だ。
収穫した大根を干しているということはわかったが、それが何のためなのかはよくわかっていなかった。
ひょんな会話がきっかけで、軒先で干されている大根たちは、たくわんになることを知った。
とてつもなく感動した。
そもそも、たくわんになるためには、干すプロセスが必要なことさえ知らなかった。
さらに干し終わった後は、米糠につけること、干したみかんや柿の皮を使うことなどを教えてもらった。
とにかく「きゃーーーー!!!」としか言いようがないくらい感動した。
たくわんがどうやってできるかなど、さっぱり知らなかったからだ。
実はとても身近なもので作れるのだった。
それを知って以来、私はみかんを食べては、皮を捨てずにせっせと干すようにした。
小屋の前にも、大根を8本干した。
干した大根がつの字にまがり、みかんの皮も幾ばくか集まった1月末。
ついに、人生初の自家製たくわんを仕込んだ。
果たしてこれで本当にたくわんになるのか...?
全くもって自信はないが、やってみることこそ!と思って自分を励ます。
こういうことこそ、池田のおばちゃんに教わりたいものである。
2月上旬、友達に誘われ福井市立美術館で行われていた福井工業大学の卒業制作展に行った。
社会問題に対して、学生たちがいろんなアプローチを考え形として生み出しており、とてもとても興味深かった。
そのうちのひとつに、フードロスになった野菜でチョークを作るというものがあった。アップサイクルの発想だ。
「面白いなぁ〜」と思いつつ、私の頭の中には、最近作ったママレードとたくわんが浮かんだ。
柑橘の皮でママレードとたくわんを作ったことと、フードロスのチョークは、食べ物のロスを減らすという点で共通している。
しかしながら、何かが決定的にちがうように思えてならなかった。
このちがいについて、運転しながら考える。
ふと、春の出来事が思い起こされた。
2023年の春、ばあちゃんと山菜採りに行った時のこと。
私は初めて採るウコギを目の前にして「これってどうするのが1番おいしいですか?」と聞いたのだった。
「う〜ん、私は刻んで白米と混ぜご飯にするのが好きだけど、なんでも試してみるといいですよ。天ぷらでも胡麻和えでもなんでも」
この言葉を受けて、私は深い呼吸をした。
「なんでも試してみるといい」
ばあちゃんからは、教え育む(おしえはぐくむ)教育ではなく、共に育む(ともにはぐくむ)共育(きょういく)の姿勢を感じた。
正直、私は「こうしたら美味しいよ」という答えを期待して、問いを発した。
しかしながら、返ってきたのはもっと本質的な答えだったように思う。
私は、知恵を、まるで代々受け継ぐ家宝のように伝達可能な対象物として捉えていた。だからこそ、答えを教えてもらうための質問をした。
けれどもばあちゃんからの返事を受けて、知恵とは、どうやらそういうものではないらしいと気づかされた。
知恵とは、伝達していくものというより、好奇心と探究心のあるところに生息するものなのではないか。
多分だけど、多分だけど。
山菜を余すところなく食べたり、八朔やみかんの皮を使って食料に変えていく発想の背景には、戦争時の食糧難があったと思う。
絶望するほど食べるものがないなかで、いかにひとりでも多くの腹をすかせずに生き延びるか。
そんなことが、どうしようもなく切実な日々の中で、人はいっぱい考えて創意工夫を繰り返したのだと思う。
フードロスが社会問題として注目されるようになったり、SDGsの波が来て、食べ物を「捨てない!」と叫ばれて久しい。
けれども日本の小さな田舎で、仰々しく「食べ物を捨てない!」と叫ばずとも、食べ物を無駄にしない暮らしが既に昔からあった。
その源流にあるのは、どんな時代も人の好奇心と探究心だったりするのかな。
数日前、たまたま町内を歩いていたら、出会ったばあちゃんは言った。
「畑を数十年してるけど、毎年ちがうの。毎年が一年生」
池田町はそこかしこで、好奇心と探究心が鳴り響く町だ。
そんな町の暮らしにこそ、学ぶことがたんまりある。
知恵と出会いたいと思うならば、まずは自分が好奇心と探究心で溢れていようと思う。
まりこ
(本名 川上真理子)
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大都市で24年間をTO DO(したいこと)ファーストで
生きてきて、大学3年の時に自分の在り方の大切さ
に気づく。
ご縁がありたまたま出会った池田町での
素朴で等身大な人や自然に惹き付けられ
大学院卒業後、新卒無職で池田に移住。
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現在の活動はこちら👇
●池田町見習い人(めざせ何でも屋)
●福井を拠点にするライター
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好きな食べ物)ちんころいも※池田町限定
現在、畑仕事や古民家改修により筋肉強化中。